4月19日はワルシャワ・ゲットー蜂起の記念日。
ちなみにこれはワルシャワ蜂起とは別物。
毎年この日、Polin Muzeum(ポーランド・ユダヤ人の歴史博物館)はキャンペーンを行っており、紙で作った水仙を配る。
が、今年は外出規制のためにオンラインでの展開となった。
ネットで水仙の作り方を公開し、ハッシュタグをつけて水仙を身に着けた写真をFacebookやインスタにアップロードしようというイベントとなった。
昨年配られたものが家にあったので、それで写真を撮り、家にいるつもりだったのだが…
どうしても行きたくなる気持ちを押さえられず。
ワルシャワ・ゲットー蜂起、ワルシャワ蜂起は
自分の中では重要な日として位置付けられている。
ただの思い込みというのは重々承知しているが
もし前世というものがあるならば、
私はワルシャワ・ゲットー蜂起、ワルシャワ蜂起に関わりがあったのだと感じる。
とはいえ、何か特別なことをするわけではない。
記念行事が行われている界隈をぶらぶら散策するだけである。
家からPolin Muzeumに向かう途中には、街路に水仙が植えられている。
今年は枯れ気味な花が目立つ。
例年に比べてすごく暖かいので、咲くのが早かったのだろう。
記念碑の周囲には例年とは比べるべくもないが、意外と人がいた。
一人だけだが、水仙の花を売る人も。
商売が成り立つくらいには人出が期待できるということなのだろうか?
来るときは道端の水仙に気を取られていたが
帰路は落ち着いた街並みに映える、抜けるような青空に目を奪われる。
そういえば昨年も、この日は眩しいばかりの晴天だった。
そして目抜き通りから一歩入ったこの通りは今日と同じように
道行く人もまばらでひっそりとしていた。
昨年の今ごろはちょうど
“インキュベーター問題”で悩みに悩んでいたころだ。
焦りと怒りともどかしさと。
眩しすぎる青空は憔悴した心にしみた。
と同時に、なぜかこの街を抱きしめたいような愛おしさを感じた。
この通りを歩くと、
この街に暮らすことになった不思議と
この街にこんなにも愛着を抱く不思議を感じる。
しょっちゅう壁にぶち当たっている気はするし
インキュベーター問題のように‟穴にハマる”ようなこともあるが、
結局のところ、私はここから離れられないのだ。
ここが自分の場所だから。
通りの名はザメンホファ。エスペラント語の創案者にちなんで名づけられた。
際立った特色があるわけではない
ごく普通のワルシャワの道。