正月早々、ウクライナ在住のアメリカ人の友人とオンラインでミーティングした。
実は1月に久しぶりにキーウに行こうと考えていたのだが、ちょっと難しそうになったのでとりあえず現況を聞くことにしたのだ。
以前はウクライナに何度か訪れていたものの、戦争が始まってからは訪問することは全く考えていなかった。
なのではあるが、12月にキーウで開催されたスタートアップ系のカンファレンスのオーガナイザーの一人が私の知人で、できるなら現地参加がおすすめだと言うので、行けそうかどうかちょっと調べてみた。
まず気になったのは保険。普通の旅行保険は戦争中の国だと補償対象外ではないのか?
ちょっと調べてみると”戦争リスク”をカバーする”保険が販売されていた。料金もリーズナブル。戦争前にウクライナに行く際に加入していた旅行保険と同じくらい。販売しているのもウクライナ政府も関係しているようなので怪しい会社でもなさそう。
ということで保険問題はクリア。
次に調べたのは宿泊先と交通手段。
宿泊先はAirbnbがとりあえず機能しているようだ。値段は戦争前とあまり変わらないような?
ただ、宿泊施設としては運営していないが、宿泊料金を寄付してもらうために開けたままにしているリストもあるのでそのへんは要注意だ。
さて交通手段であるが、今は飛行機が使えない。
Facebookの自分のページに、「どうやって行くのがおススメ?」なのか投稿したところ、みんなが推すのが汽車。
「××日なら救援物資を運ぶ車を出すからそれに乗ってく?」というオファーをくれた友人もいた。
いろんな人からの情報を総合すると、ワルシャワ⇔キーウ間を走る夜行列車がよさそうだ。友人の一人は「いろいろ試したけどこれ1択」だという。
ワルシャワ~キーウの距離は、だいたい東京~広島くらい。
東京~広島は新幹線で4時間弱。ちょっと余裕をみて6~8時間くらいで行けるのかと思いきや
なんと出発から到着までの所要時間約19時間。
ワルシャワからカタール乗り換えで日本に行ったフライトがそのくらいだったなー。
いやいやいやいや、時間かかりすぎでしょ。国境の検問とか、時差とか、線路の幅が違うので車両の乗り換えとか必要なのかもしれないがそれにしても日本なら4時間の距離。なぜそんなに時間がかかるのか友人(ウクライナ人とアメリカ人のカップル)に聞いてみたら、
「ウクライナの電車はそんなに早く走れない」という。
車両などのインフラがボロいらしい。
というか、今まで意識したことがなかったけど、世界的に見ると日本の新幹線が優秀なようだ。
料金もちょっとお高め。
二等車の料金はリーズナブルらしいのだがすぐに売り切れると聞いたことがある。
カンファレンスの日まで10日を切っていたので、当然二等は売り切れていた。
カンファレンスに終日参加するなら、電車の発着時間を考えると前後に1泊する必要がある。
時間もかかるしお金もかかる。
以前のように気軽に行ける国ではなくなってしまったのだなあ、とちょっとしんみり。
結局、今回はオンラインで参加することにした。
実のところ、ネットワーキングがやりにくい以外は、私はカンファレンスはオンラインの方が好みである。視聴しながら気になるワードが出てきたらその場で検索できるし、何より疲れない。OtterAiなどのツールを使って音声をテキスト化しておけば後で内容も確認しやすいし。
今回はあきらめたのだが、一度調べ始めるとやはり行きたい気持ちが募る。
1月に行っちゃう?
という気満々だったのだが…
日本のニュースなどでも報道されているが、23年末からロシアの攻撃が激化した。
攻撃が激化する前は「キーウには高性能の迎撃システムが導入されており、ロシアからの攻撃は対処できている。航空便の復活も検討されている」などと聞いていたのだが、迎撃システムも破られてしまったようだ。街中が戦火に包まれているというような状況ではなさそうだが、暖房や電力などのインフラを狙っているという報道もあった。
行こうと思えば行けないわけではなさそうだが、とりあえずは様子見することに。
その代わりというわけではないのだが、友人とオンラインミーティングすることにした。彼はアメリカ人だが、たまたま訪れたウクライナを気に入って住むことにし、ウクライナ人のパートナーもいる。彼が住んでいるのは東部の街・ドニプロだ。戦争が始まったばかりのころに東洋経済に執筆した記事にも登場してもらった。以降もオンラインや、ワルシャワに立ち寄った際などに何度か会っている。
この1月のオンラインミーティングでは、特に面白いと感じたことが3つあった。
一つは「生活の質」について。
戦争が始まって数週間後、彼はパートナーとともにウクライナを出てポルトガルに暮らしていた。SNSでは海辺の街で優雅に暮らしているように見えたのだが、23年9月にポルトガルでの生活は引き払ってドニプロに戻ってきた。ドニプロをベースにしつつ、1年のうち数カ月はアメリカに里帰りする生活を送るのだという。
戦争中の国に戻るというのは意外だったのでその理由を聞いてみたところ、ポルトガルでの「生活の質」に不満を感じていたのだそう。
とくに、レストランの質とサービスが価格に見合っていないということと、医療制度に不満があったという。彼女は体調を崩していた時期があったらしいのだが、ドニプロなら2,3日待てば病院で診てもらえるところを、ポルトガルでは数週間~1か月以上待たなければならないという。家賃も爆上がりしており、ドニプロならもっと安い値段でかなりクオリティの高いマンションに住めるのでポルトガルを引き払うことを決めたのだとか。
ウクライナ人が「やっぱり自国がいい」というならわかるが、アメリカで生まれ育った人が納得できるクオリティのサービスを戦時下のウクライナが提供できているというのは非常に興味深い。ただし、彼は収入のすべてをアメリカから得ているので、現地で働いて収入を得る人とは事情が異なるという点は考慮する必要があるが。
戦争中の国というと、『廃墟のような建物に肩寄せ合って大勢の人が暮らし、石のように固いパンをみんなで分け合う』的なものを想像してしまう。
「そういう所もあると思うよ。ウクライナは広いから」と友人は言う。
一方、彼らの暮らしはというと、比較的新しくて設備の整った清潔なマンションに住み、毎日とはいかなくても地元のおいしいレストランで食事を楽しんでいる。SNSで見る限りではあるが、言われなければ戦争中の国だとは思わないだろう。
彼らの暮らしぶりはは平均よりちょっと上だとは思うが、上流というほどではない。このレベルの生活を営んでいる人は都市部では決して珍しいわけではなさそうだ。
つくづくこの戦争は多面的だと思う。
二つ目は言葉の問題。
ウクライナ東部の街・ドニプロは「母語はロシア語」という人が大半だ。言語的に非常に近いし学校ではウクライナ語の授業があるのでウクライナ語も不自由なく話せるが、でもやはり第二言語らしい(お年寄りはロシア語しか話せない人もいるようだ)。戦争が始まってからロシア語やロシア的なものは極力、排除されているらしいが、「今まで慣れ親しんできたものを一方的に取り上げられた」という反発心もあり、同じ第二言語ならウクライナ語より英語を積極的に使う人が増えているという。
3つ目はクリスマスの話題から。
ウクライナでは東方正教会が主流である。カトリックの国ではクリスマスが12月25日、イブは24日だが東方正教会では1月7日がクリスマスとなる。が、ウクライナでは2023年からクリスマスの祝日は12月25日に変更された。とはいえ長年の習慣なので、やはり従来通りの日に祝う人も少なくないという。
友人とオンラインミーティングしたのは1月6日であったが、クリスマスイブのディナーの準備があるらというので早めに切り上げた。ウクライナでもクリスマスは身内で過ごすものらしい。ウクライナ人は親切で優しいが、よほど親しくならない限りは心を開かないと友人は言う。なぜかというと秘密警察が暗躍していた時代の名残なのだとか。油断してると密告されて人生詰んでしまうことに。
それを聞いてポーランド人が内輪でかたまる理由がわかった気がした。
旧共産圏あるある、なのかもしれない。